こんにちは!のこてぃーです。
本日は教師は自分に向いていないと思った理由や教師に対する僕の考えをお話しさせてもらいます。
自分の考えをつらつらと書き連ねた記事になりますが、興味のある方は読んでみてください。
はじめに
僕は大学で、工業高校の教員免許を取得していました。
実は工業高校の教員免許って一般的な教員免許と違い、比較的取得しやすい免許になってます。(この辺りの話もまた記事にさせてもらいます。)
考えられる将来の選択肢の一つとして取得しておきました。
しかし、就活時に自分の将来のことを真剣に考えた時、教師という職業は自分には向いていないなという考えにたどり着いたのです。
なぜその考えに至ったのか、そのことをこの後お話しします。
僕は決して頭が良いわけではないです。むしろ悪い部類です。
ただ「頭が悪いから向いてない!」という単純な理由でなく、この職業に関する根本的な部分が自分に合わないということなのです。
自分に教師は向いていないと思った理由
個人に極端に肩入れをしてしまう
言い換えれば、教え子を平等に見ることができないということです。
教師という仕事を考えた時、これは致命的だろうと思いました。
生徒にしてみれば、特定の生徒に肩入れするようなことを感じさせてしまうことは不平等感を与えてしまいます。
逆の立場になって考えると、非常に不愉快ですよね。
もちろん教師も一人の人間です。
いくら生徒全員を同じように客観視することが求められるといえど、素直に話を聞いてくれる生徒と斜に構えたような生徒では、抱く思い入れに差があっても不思議ではありません。
それならば全員平等に肩入れすればいいじゃないか。そう考えてもみました。
しかしそれには時間があまりにも足らない…身体がいくつあっても足りません。
教員も世界上の人と同じように24時間しか与えられていないのです。
学校の教員になれば、おそらく年間で数十人…あるいは数百人単位の生徒と相対することになります。
それだけの生徒一人一人と真剣に向き合うことができるのか…
僕にはその自信がありませんでした。
これが一つ目の理由です。
人の人生の分岐点に責任を負いきれない
要するに人の人生を導くための覚悟が持てなかったということです。
教師とは人を導き、背中を押してやるとても素晴らしい職業だと思っています。
その導いた先が実は不正解だったら…?
背中を押したつもりが実はただの押し付けだったら…?
もちろんそんなことを考えだしたらキリがないことは理解の上です。
ただ、教え子を間違った方向に導いてしまい、間違った方向へ背中を押したとしても
僕自身、責任を感じることはできても責任を完全に負ってあげることはできません。
どのような形であれ、実害を被るのは教え子なのです。
教師である以上は、そういったことも十分起こりえます。
もしかしたら慣れの問題かもしれませんが、自分は人の人生を導くことの重みに耐えられる自信を持つことができませんでした。
これが2つ目の理由です。
教師が嫌いなわけではない
ここまでマイナスのことを書いておきながら説得力に欠けるかもしれませんが、僕は教師という仕事はとても素晴らしい仕事だと思っています。
むしろ教師をリスペクトしてるからこそ、自分が教師になるべきでないと思ったのです。
僕が小学生の時から大学卒業まで、僕に関わってくれた担任の先生方やその他多くの先生方は皆さんとても尊敬できる方ばかりでした。
中学時代の僕は反抗期に差し掛かっていたこともあり、若干やんちゃな時期もありました。
それでも先生方はとても親身になって話を聞いてくれたり、僕がぶれることなく正しい方向に導いてくれました。
そのような先生に僕がなれるとは到底思えなかったため、将来の選択肢から教師を外したということなのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
昨今の教員不足や、この記事を書いたタイミングでは世間を悪い意味で賑わせている教員同士のいじめ問題などが発生しているタイミングでした。
非常に悪いタイミングであるため教員に対するネガキャンのように見えてしまったかもしれません。
何度も言いますが教師はとても素晴らしい仕事で、自分がやるには荷が重すぎる…そう感じたというお話でした。
個人的な意見ですが、教師など人と密接に関わる仕事をしている方はもっと高く評価されてほしいかなと思います。
これは教師だけでなく、保育士然り介護士然りです。
心からそう思います。
…とまぁこんな感じで最近の教師関連の話題が多くある中で自分の意見を含めて色々と語らせてもらいました。
拙い文章ですが最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは。
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